本会は会員相互の友誼を厚くし、母校との連携を図り、その発展を助けることを目的とする。
「聆浪会」(りょうろうかい)・・・の呼称について
耳偏に令の文字は、漢字の成り立ちと原義を説く設文によると、「聴」の字の転じたもので、「耳を傾けてよく聞き、会得する」の意味があります。すなわち、浪速の教育をよく聴き、聞き分けてわが身の血と成し、肉と成して大きな器に資してきた者たちの集いを指するものとご理解下さい。
浪速の教育は、その根幹を神社神道の心に置かれて、「明、浄、直、正」の指針を基に知徳体の調和の整った人格育成とその薫陶の指導に預かりました。
その具現として伊勢神宮に於ける「禊」(みそぎ)の体験学習があります。この修業は浪速の学んだものたちが均しくわが人生のひと節を洗う厳粛さに知足の境を会得し、間々、処世の糧として活かされているを聞き、教育百年の計の意義を悟るものであります。
伊勢の大神に拝礼し、清くして穏やかな五十鈴の流れに身を委ね、一念して己を見つめたその瞬時の生命の躍動は、今まで気づかなかった自分の新たな発見、己を知るの会得に目覚めた歓喜があったように思います。
男女共学校になった今、新しい浪速健児の歌にも、古い浪速中学校の校歌にも歌われている歌詞に「真澄の鏡朝夕に磨く心を人知るや」とあります。
この言霊(ことだま)に生き、生き継ぎゆかんとする同窓の集いの呼称に「聆浪」の文字を借りました。
末吉 榮三(旧中12回生)